profile / schedule / media / members / blog / KITO's DIARY / bbs / link
ue

top

ore

kito

gakuya

sita
main
title

このコラムはKABB!の10周年を記念して
バンドがはじまってからの出来事や
レパートリーにまつわるエピソードなどについて
順を追って最初から振り返っていこう、という企画です。

 

 

というわけで、本来なら第一回目である今回は
2001年の結成当時から話がはじまるところなんですが・・・
やはり「何故、このコラムか?」ということを考えるには
「今」の話をまず書いておかなくてはいけないと感じました。

一昨年辺りから「もっと個々のメンバーをクローズアップしていこう」
という話を制作スタッフとしていて、それを提案した理由というのが
「そろそろ大丈夫なんじゃないか?」というところ。

 

元々、KABB!は僕(この連載コラムでは一人称を「僕」にします)が
ひとりで立ち上げて、途中制作スタッフなんかが加わったりしたけど
「運営する人とメンバー」という関係性に変わりはなかったのです。

しかもただでさえ、
年に数回しかライブやコンサートができない 大所帯バンドなので
「メンバー」といっても 「他所からKABB!に来てる」
みたいな感覚になってしまいがちで・・・
そうなると、よくブランドなどでいう「○○品質」
みたいなものが無くなってしまうのですね。
たとえば、 メンバーの発信スペースとして始めた
「ブラスブログ」で 「それ、ここで書くことか?」みたいな。


 

 

そんな中で結成5年目頃に ちょっとトラウマになってしまうような
「事件」ともいえる出来事があって。
まぁ、いずれジックリ書くとして
簡単に言ってしまうと、 メンバーのひとりが自分で企画して
KABB!名義のライブがやりたいと言い出して。
「おもしろいな」と思ったので
「やってみれば?」とゴーサインを出したんだけど。
話がずいぶん進んだところで確認してみたら、
KABB!のレパートリーを取り上げてはいるものの
KABB!の音楽とはずいぶんかけ離れたものだったので、
慌てて止めに入ったという。

これは、昔から僕がよく言ってる
「KABB!は【鬼頭 哲のブラスバンド】ではなく
【鬼頭 哲の音楽を演奏するブラスバンド】である」
ってのを勘違いした例であって。
僕の作った曲を演奏すれば
【鬼頭 哲の音楽】だと思ったということ。

「そうじゃないでしょう?」と。

その時「やっぱり早かったのかなぁ〜」と
さらに「運営部門」と「演奏部門」という
区別を意識したような気がします。
バンドの状況や方向性なんかを
あまりメンバーと話すことがなくなった。


実際はたまに「どっかライブやっておもしろい場所ないかね〜?」
なんて話をメンバーとすることもあったんだけど
「できる場所」こそ提案はしてくれるけど、
そこでやるとどうなるか?とか
「こういう客層が広がりそうですよ」みたいな
具体的に「今後の展開」を視野に入れた考えってのは
なかなか出てこなくて。

「まぁ、みんなにバンドの事まで考えてもらわなくてもいいか」
なんて思ったり。

でもバンドの中で運営と演奏を分けてしまうと、
どうしても演奏する側は受動的になってしまう。
もちろんそういった団体はたくさんあるんだろうけど、
僕が考える本当にやりたい「バンドのカタチ」ってのは
もっと全員が能動的に自分から「なにかをしよう」とする雰囲気。

ホントは「トラウマの事件」が
そのパイオニア的出来事だったんだけど、
まだ僕の音楽つまり「僕の考え方」が浸透していなかったと。

 

ただ、ここ数年でそれができてきた感じってのはすごくあって。
前に書いた「そろそろ大丈夫なんじゃないか?」と思えるようになった。

そういうこともあって、 昨年から運営や制作をいろんなセクションに
細かくわけてメンバーに兼任してもらうようになりました。

でも、まだ「僕がトップにいて」 という図式からはあまり離れてない。
僕が一番やりたいのは
もっと「メンバー主導」になる部分を増やしたい。
よほど「これはちょっと〜」ということでもない限り、
僕はあまり相談を受けたり意見を言わなで済むような。

 

 

 

僕は大勢の個人がそれぞれ別々の考え方や経験を持って集まり、
それを活かしたり刺激しあうのが楽しくて
バンドをやってるといっても過言ではないんだけど、
ただみんながバラバラに自分の言いたい事をいうのは
「個性」であってもバンドという場で「個性を発揮してる」
とはいえないと思ってます。

では、どういう状態が
「個性を発揮するバンドになくてはならないメンバー」
かっていうと、
それぞれが単なる個人の発想ではない
「KABB!のメンバーとして」の立ち居地から
「これはアリか?なしか?」と考えて動くこと。
それはけっしてリーダーの「鬼頭さんに受け入れてもらえるか?」
という考え方ではなく。
さっき書いたブランドの「○○品質」みたいな感じで
「KABB!の名義で発信するに値するか」ということを
常に考えるということ。

ようするに結局は「お客さんに喜んでもらう」っていう
「KABB!のやりクチ」からハズれてないか?みたいな。

高級ブランドが洋服やバッグから小物アクセサリーまで、
その名前を付けている以上
「やっぱり高いだけある」と納得してもらえるのって
そういうことだと思います。

 

バンドの場合たとえば、ひとつの曲を演奏するとして。
普段の自分のやりかたなら
「これぐらいでいいや」で済ませてるレベルでも
「KABB!だもんな」って
もう少し突っ込んだ取り組みをしてみたり。
逆に普段もっと正確さを求められる仕事をしてる人が
そこでの「常識」を持ち込まず
「KABB!だから」と柔軟にやってみたり。

コンサートを企画したり、
チラシやチケットをデザインしたり・・・
そういうもの全部ひっくるめて
「ちゃんとKABB!になってるか?」ってのを考えてないと
「素人くさい」とか「サークルのり」みたいなものに
なってしまうのです。

そういうことを考えるのがバンドに最も重要な事だし、
それが単なる「寄せ集めの音楽家集団」と
「バンド」の一番の違いだと思ってます。

 

運営は運営専門の人がやって
演奏は外注するような形でも10年はやってこれたし、
これからも同じ事を繰り返していくだけなら
今のままで問題ないと思うのですが
「なにか次の展開」ってことになったら
今まで以上にメンバー全員が「KABB!として」
って考えがないとダメだと感じています。

 

で、まぁぶっちゃけ
「できてるか・できてないか」は置いといて
「昔に比べりゃみんな考えるようにはなったかな〜」
ってトコですじゃないっすかね?
と俺は思って・・・いや、僕は思うのです。

 

@

 

 


と、いうわけで
このホームページにおける「10周年記念企画」も
「メンバー主導」でやってます。
昨年10月のライブの後だったかに古参メンバーである
アルトホルンのQちゃんとサックスの浅井くんに
「来年10周年だからさぁ」と。
「なにかホームページでやらない?」
僕が言ったのはその二言だけ。
その時は「はぁ・・・」みたいな返事をもらって。

そのまま特に進捗状況を聞くでもなく
「そろそろじゃない?」って催促するでもなくだったけど、
年末には企画を上げてくれました。いいな〜!頼もしいっつうか、
ホント「やってくれると思ったよ」なんだけどね。

 

で、その企画の中に僕の連載コラムが・・・
「また、俺か〜」ってのもあったけど「まぁ、俺か〜」だし。
せっかく出してくれた企画なんで、とりあえず協力しないとね。

で、コラムのタイトルは浅井くんが考えてくれた
「君に見せたい景色があるんだ」なんですが。
これ、実は10周年イヤーをスタートするコンサート
「Beautiful view」の表題曲から取った歌詞の一節なのです。

う〜ん・・・

このコラムを書くにあたって、依頼をしてきた浅井くんが
僕に「書いて欲しい事」ってのは
タイトルに込められた思いと考えたらいいのだろうか?

 

というわけで、
最初から「10年の歴史を最初から振り返る」
というコラム企画を無視して「今」のことを書いたついでに、
本来なら一番最後に紹介されるはずの
「一番新しいレパートリー」の話を書きます。


Beautiful view(2011)

 

さっきも書いたように、コンサートの表題曲として作った曲。
ここ数年、コンサートの時には必ず
タイトルやテーマにちなんだ曲を書き下ろすようにしています。
コンサート自体がCDのアルバムのように
「1つの作品」として完結するにも
「タイトルチューン」ってのはわかりやすくていい、と思って。

で、今回は(というか「も」)コンサートに来場したお客さんには
入場時にパンフレットを配って、そこに長々と文章を書きました。

読んでない人もいるし
「Beautiful viewってなに?」
を理解してもらうためにも全文引用してみます。

 

 

「Beautiful view」がつねに「今、見てる眺め」でありたいという思い。

                                          
僕のブログを読んだり、話を聞いたりしてる人ならわかると思うんだけど「絶景のマンション」とか全然興味がないし、住みたいと思わない(負け惜しみじゃなくてね)そこがどれだけ眺めの良い場所だからといって「終の住み処」として毎日それを見て暮らすのは勘弁。
それからいわゆる「名所」といわれるような観光地にもあまり興味がない。今までもバンドのツアーなどでいろんな場所を訪れて、たとえばパリで泊まったホテルは窓からエッフェル塔がドーンと見える絶好のロケーションともいえる素敵な所だったんだけど「別になぁ・・・」もちろん「お〜っ」とは思うんだけど、それは今まで写真なんかで見たことのある景色を「実際に見た」というだけの話で「感動した」とかそういうのではないのだ。
それよりも混み入った街中の安ホテルの窓から、道行くそこで生活している人を見たり、名前も聞いた事の無いような田舎街をウロウロする方が断然楽しい。
ようするに「見たことのない景色」や「知らない場所」が好きなのだ。
ただ、これも前から言っていることだけど、特別な場所に行くのではなく「いつも通る近所の道」でだって新しい発見をすることはできる。
とにかく、些細な事でも「昨日と今日の違い」を見つけることができたら、それが「美しい眺め」なんだと思う。
と、結構具体的な場所を上げたりもしたけど、このコンサートにつけられたタイトル「Beautiful view」は実際の景色の事が言いたいわけではなく・・・なんというか「味わった気分」とでも言うのか。
仮に「景色」について語るとしても「どこに行ったか」よりも「誰と行ったか」で見えてくる眺めは全然違ったものになるということ。
たとえば、誰にでも人生の中で「もし、この人に出会ってなかったら」ってターニングポイントになるような人物がひとりかふたりはいるんじゃないかと思います。衝撃を受けた本や絵画、楽器をはじめるキッカケになった音楽なんて場合もあるでしょう。
僕自身もKABB!をはじめるにあたって「この人に出会ってなかったら」っていう人がいるし、もしKABB!をやってなかったら出会えなかった人がたくさんいます。メンバーもおそらく、僕と出会いKABB!に参加していなかったら「味わえなかった気分」ってあると思います(これは「味わわずに済んだ」という考え方もありますが)なんだかちょっと恩着せがましい言い方になってしまったけど、10年バンドをやってきて一番思うのはそういうことかなぁ。
よくドラマなんかで長年連れ添った老夫婦が。ホントにこれといった「波乱万丈」もなく毎日ハタから見ればおもしろくもなんともない平凡な日々を暮らしているんだけど、最期に「あなたと出会えて毎日がとても楽しい幸せな一生でした」みたいな事を言うシーン。
きっとふたりには「美しい眺め」が見えていたんだろうなぁ、と思うのです。
今、自分が立っている場所から見える景色というのは「そこに至るまで」の過程が必ずあって、それを振り返るということは実に多くの人と関わり「ここまでやってこれた」という感謝の気持ちを改めて強く考えさせられる機会だし、その時に見てる景色こそが「美しい眺め」なんじゃないでしょうか?
とにかく、この「うまく言葉にできない気持ち」というのが「10周年のはじまり」という「お題」のコンサートを企画するにあたって色々考えたり過去を振り返った時に沸きあがった感情であって、思いついたタイトルが「Beautiful view」というわけです。
普段、コンサートのタイトルは半年近く前に決まって、それをテーマにあれこれ内容を考えるのですが、今回は結構難産で2ヶ月前にようやく決まって・・・新たに味わった「眺め」をテーマにした曲を作ったり、コンサートの「核」となるタイトルチューンの曲と歌詞を作り、出来上がった曲を「もし発売するならこんなジャケットがいいな」ってコンサートのチラシを考えたり(そんな経緯もあって今回宣伝が遅くなったのです)ずーっと「美しい眺めとは?」という事を考えてきました。
そこで冒頭の話に戻るんだけど。「何故、僕は絶景のマンションに興味がないか」
世の中には、街を見下ろす絶景の部屋で絶世の美女をはべらせ高級な料理や流行の音楽・・・といった「一般的な意味での最高のもの」を揃えることにステイタスを感じる人もいるんでしょうが。僕としては自分の「大好きな人と大好きな場所で大好きな歌」があれば、そっちの方が断然いいと思うんですよね。
う〜ん・・・結局「またそこか」という話になるんだけど、みんなが「普通」に最高と言うものじゃなくて自分の価値観で見つけ出したものが大切だということ。誰かに「見せたい」と思う景色は絶対そっちじゃなきゃダメだろう?って話。
現に今日これからみなさんに聴いていただくのは、僕の大好きな仲間達と作り上げた大好きな音楽です。
10年間そうして来たし、これからもそれを続けて行くのがKABB!が見せることのできる「Beautiful view」だと思ってます。

 

 

開場から開演まで長い人だと30分は待つわけですから
「暇つぶしになるかな」と書いたけど、
それにしても長いですね。

しかし、まぁ読んで字の如くまったくこの通り・・・
としか言いようがない。

で、それが「どういう曲になったか?」
ってのをデモ音源聴いて、歌詞もご覧下さい。

Beautiful view


君に見せたい景色があるんだ 僕についてきてくれないか?
他の誰も見たことない 美しい眺めさ

そこにたどり着くには ずいぶん時間がかかるから
お互いこれまで見てきた 別々の話しよう

うれしかったこと 楽しんだこと 忘れられない思い出
父さんのこと 母さんのこと 仲間とのできごと

今まで見てきた
世界は違うけれど
これからはいつも同じ眺めを見続けよう

君に見せたい景色があるんだ 僕と一緒に見にいこう
さわやかな風 川の流れ  風景を切り取ってリズムにして
歩きながら口ずさもう 僕たちの音楽
目の前の世界広がる ふしぎなメロディさ

 

けわしい道のりも
一緒なら乗り越えていけるさ
ふり返ればそこに続く ふたりの足跡

君に見せたかった景色は 今まで歩いてきた道
くりかえす日々の中から 見つけ出した風景
そしてこの先に続いていく 素晴らしい未来は
僕と君に約束された 美しい眺めさ

大好きな人と 大好きな場所で
大好きな景色眺め 大好きな唄を

君に見せたい景色があるんだ 僕についてきてくれないか?
ふたりだからたどり着ける 美しい眺めさ

 

「Beautiful view」2011 KITO,Akira All Rights Reserved

 

kito

 

これは一見、プロポーズでもする
「彼氏から彼女に向けた」みたいな内容になってますが、
ようするにプログラムに書いた話です。
10年間関わった人、
とりわけメンバーに感謝の気持ちを込めてるのと、
僕はいつもどんな場面でも・・・
音楽やるにせよ呑みに行くにせよ、
まぁおそらくプロポーズする時がまた来たら、
こういう気持ちで「一緒にどうですか?」
って誘うってことです。
「絶対、おもしろいことあるから!」って。

 

KABB!が最も重要視してるのが
「音で楽しませる」ということなんだけど、
何事においても「誰かを楽しませる」
っていうのが僕の全ての行動の根っこにある。
それぞれのルーツや価値観を尊重した上で
同じフィールドで物を言おう、とかね。

額面通りに「ラブソング」と捉えると
「新境地か?」ってなるんですけど、
結局いつも言ってる事とマッタク同じです!

 

 

 

曲の作りとして、リズム的には意外とKABB!が
「やってるようでやってないタイプ」のミディアム・ソウルで、
全盛期「モータウン」のリズムセクションをかなり意識して、
チューバではかなりしんどいジェームス・ジェマーソンばりの
ベースラインを書いたんですけど
(キメのシンコペーションなんか、まんまWhat’s going onですね)
コレ実はいくらでも「はしょっちゃって」良くて。
「グルーヴのツボ」みたいなのを心得てれば
いくらでも楽に吹けるんじゃないでしょうか?
ただ、そういうのがまったくわからない人でも
譜面通りに吹けば「グイン!グイン!」と
グルーヴする仕組みになってます。

 

ウワモノはいわゆる
「シグマ・サウンド」的なフィラデルフィア・ソウルの
「美味しいトコ取り」みたいな感じなんだけど、
今回ほど「ストリングスがあればなぁ」と
「ブラスバンドやってるくせに」な
本末転倒の欲求を感じた事はなかった!

で、最後の「大好きな〜」のリフレイン部分は
4つ打ちを強調した「どディスコ」とでも言いますか・・・
ヴァン・マッコイ的「ディスコ・クラシック」にしてみました
(曲のテーマとは全然関係ないんだけど)
吹奏楽の「定番曲」みたいな感じで
「ディスコ・キッド」ってありますけど、
もうちょっとこの辺りを研究したらどうよ?と思います。

 

とにかく、今回気をつけたのは
「歌モノ」なんだけど、単に「ブラスのゲストに歌が乗っかってる」
にならないようにしよう、という部分。
「メロディのトップがたまたまボーカル」みたいな。
だから、楽器と「ハーモニー」の関係性で
メロディが動く部分も多くて。
音の跳躍や半音での進行など
「歌い手」としては結構めんどうな
「楽器的表現」を要求する部分もたくさんあって
かなり細かい所まで「歌いまわし」の注文をしたんだけど、
タカシくんはバッチリ「物にして」くれました!

t

 

あと、KABB!では一昨年ぐらいから
「歌モノ」のレパートリーに取り組んでいて、
これは僕が「作詞・作曲・編曲」を全部やってるからこその
「おもしろみ」かもしれないんだけど。

お芝居なんかで役者さんがセリフを
言ったことに対して効果音(SE)が
「ドーン!」とか「ジャーン!」みたいな
タイミングで鳴ったりしますよね。
楽器同士だったら「音と音」って同質のものでの効果だけど、
セリフとSEだと「意味と音」っていう
異質なもので「意外性」も含めた
より多くの効果が得られるな場合があると思うのですが。
歌詞と楽器がウマくリンクすると、
それと似たような事ができるなぁ〜って、改めて感じました。

これ、もっと研究したら
(とはいえオペラまでやる気はないのですが)
今以上に歌モノが
「ボーカルにゲストで入ってもらって」じゃなくって
「ブラスバンドのボーカルパート」
みたいな曲が作れないもんか?なんて考えてます。

演奏する側が単に歌のメロディだけじゃなくて、
もっと歌詞の意味に呼応するようなフレーズや
ニュアンスになるような要素を持った・・・
こういう事考える時が結構気分が盛り上がるんですよね。

 

曲を作るって、
その時々の自分の「マイブーム」みたいなものが反映されて、
やっぱり「その時だったんだなぁ」って後から思うことも多いし。
今みたいに「次はこうしよう」って考える時もあるし。

なんて言うんですかね〜
ドレミファソラシドの組み合わせ
(正確には半音もありますけど)だけで、
一生楽しめるパズルゲームを手に入れたみたいでおもしろいです。

そんな「時々の変化」なんかを振り返り、
秘蔵音源なんかも小出しにして
過去のレパートリーについても触れていこうと思ってます。

 

 

と、初回からかなりボリュームたっぷりに
書いてしまいましたが、いつもどうなるかはわかりません。

このコラムを企画した人は
「KABB!ヒストリー」みたいなものを期待してるのかもしれないけど、
そういった「社史」みたいなのって
どうしても第三者的目線が重要になってくると思うのですが。
思いっきり当事者の僕としては
やっぱり「その時、僕がどう思ってたか?」
って話しか書けないと思います。

 

とにかく、今回書いた「今」の話。
「ここにたどり着くまで」の10年の話を次回から書きます。

1

 

syomei

Photo   水野 純  浅井 雅弘  久保尚子
構成  浅井 雅弘          

profile / schedule / media / members / blog / KITO's DIARY / bbs / link
>> back to top page